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スタッフ備忘録

151回目の初春。

皆様、おはようございます。
1月も後半へと入ってきました中、本年2回目の登場となる新米パパのスタッフTです。

 

さて、、、
先日、正月に録画した『家康、江戸を建てる』と言うドラマを観てみました。
若い頃は日本の歴史関係、俗に言う「時代劇」など全くと言っていいほど興味がなかったのですが、このようなNHK制作のドラマを録画してしまうなんて言うのは、コレも年齢の表れなのでしょうか・・・(汗)。

冷静に推測するに、このブログをご覧の皆様は間違いなく私よりお若い方々ばかりとなるかと思いますので、今回のブログは、いつもにも増して、面白くもなんともない内容になる予感もしています(冷や汗)。

ですが、チョットだけ(^^;

日本史によれば、江戸時代は1603年から1868年までの265年間・・・
江戸時代の次が明治時代、明治の始まり(1868年)から今年(2019年)が151年目ですので、かなり遠い昔に感じる江戸時代ではありますが、実は、そんなに大昔のお話しでもありません。
しかも265年間に亘って、ですから、、、江戸時代って、相当、長ぁ~~いんですね。

江戸時代となるまでの日本は、それはそれは&とてもとても長い間、大阪や京都など、今で言うところの「関西」が国の中心地でしたので、国の中心地を「江戸(=東京)」に代えよう!ってのは、それだけでも大仕事。
徳川家康は決して好き好んでこの「関東」に移り住んだワケではなく、当時の天下人である豊臣秀吉に「関東あげる」と言われたからだそうで、これは、家康に能力があることを知っていた秀吉が、自分の権力を守るために下した左遷だったとも言われています。

このテレビドラマは、その「江戸」の街の基礎を、家康がどのように創っていったか?と言うお話し。。

当時の江戸は低湿地帯が大きく広がっていて、ヒトが住むには全く適さない言わば「過疎地」のような場所だったそうですが、徳川家康は、この地を都(みやこ)にするために、町を水浸しにしないよう川の流れを変え、人々の暮らしに欠かせない水を確保するため水路を通したりと、江戸を人々が住める土地にすべく、次々と整備していったのですね。

このような改革を決断するリーダーも、ソレをやり遂げるメンバーも、ホント凄い。

このような都市の基礎作りと並行して小判の作成やら士農工商やらの身分制度の確立などの「ハード面」を整備、更には国(=幕府)の財政を安定させるための税制改革や、庶民の暮らしが楽しく安定していけるよう大衆芸術やいろいろな文化の誕生など、いわゆる「ソフト面」もドンドンと発展していったのだそうです。

皇居はもちろんのこと、大手町や日本橋に吉原、歌舞伎に落語に天ぷらや江戸前寿司・・・、
台場や「め組のひと」に『玉屋ぁ~鍵屋ぁ~』の隅田川花火大会などなど・・・。

これらは全て江戸時代に誕生したもの。
国内において戦(いくさ)がない平和な日本の礎(いしずえ)は江戸時代が始まりとも言われています。
この長きにわたる「江戸時代」が無ければ、今の「東京」の街や文化は存在しなかったでしょう。

また、諸説ありますが最盛期の江戸の人口は100万人以上だったとも言われ、教科書によっては「当時の江戸の人口は世界一だった」とも書かれることも多いくらいです。

ヒトが住めるような場所ではなかった土地を、そこまでの都市へと発展させたことはホント凄い。

水は高いところから低いところへと流れる。
水あるところに人は集まる。
水(川)の流れを変える。
水を貯める、水を分ける。

自然の理に逆らわず、自然の理を活かして、皆様に徳を得ていただく。。。

私たちイマジン東京は、お店をお探しの皆様にとって、そんな「水」のような存在になれれば光栄です^^。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。
ではでは、また(#^^#)。

初心者でも安心の完全着衣のエステ店『イマジン東京』です。Neo風俗店として、下着・トップレス・オールヌード・お触りなしといったNo風俗オプションで、10年以上営業させていただいております。経験者・未経験者に関わらず安心してお仕事のできるエステ店、是非、ご応募くださいませ。